DAY1 ナホトカ〜ウスリスク

スタートの広場はコドモたちがたくさん詰めかけていた。噂にはきいていたがこれほど見物人がいるとはおどろきだ。身振り手振りで、なんかおみやげはないのか、と催促される。子供たちにあげるようにステッカーをたくさん持ってきていたのだが、(ガルルのおまけとか)ちょっとあげるとたちまちみんな群がってきて、ステッカーの奪い合いで、即、完売。都会の子はがめつすぎるなあ。サインをせがむ子もいるのだが、あたしはなんかの有名ライダーか?ただの一般人だぞ・・・と思いつつ、とりあえず漢字で名前を書いておく。ただ漢字がめずらしいだけなのかもしれないな。

スタート前は緊張なんてすることない、と思っていたけど、5.4.3.2.・・・とカウントダウンされるとやっぱりちょっとどきどきするものだ。いよいよ出発、がんばるぞー。

はじめは私の後ろをはしっていたヤエガシ君は、さずがに650、すぐにセローののんびり巡航ペースにあわなくなってあっというまに抜かしていったが、ダートにはいってしばらくしたころ、なぜか道ばたに止まっている。きくと「ICOの磁石、ふっとんだ」
まだ、20キロくらいしか走ってないのに。やっぱトラブルは付き物だなあ、と実感。とりあえずはこまかな分岐などはなくマップとだいたいの距離感で行けそうな感じなのできっと大丈夫だろう、と思っていたら、私の方が案の定、最初の村をすぎた頃に迷子に。農作業しているロシア人があっちだーと指さすので行ってみるが、なんか様子が違う。どんどん道じゃなくなって行くじゃないか。とりあえず、マップ上の分かる分岐まで引き返して、再スタート、間違えた分岐も発見した。(えらく簡単なところで間違えていた)あのロシア人は一体何をおしえてくれたんだろうか・・・。

しばらく走ると草っぱらでみんなが休憩していた。「おーい、なんで#1がおれより遅いんだよー」とは最後尾の組の#22まっちゃん。30秒ごと2人ずつの出発だから、結構な時間迷っていたようだ。ここでお昼にするが、これからマップを見る限り、どんどん道が厳しくなっていきそうな気配なのであまりのんびりはできず先を急いだ。

そして、その通り。ガレ場と沢登りオンパレードのコースが待っていた。 とことこ走りが得意なセローのこと、何とかなるか、とラインを定めて、走り出すものの、 大きなごろごろした岩にステップ引っかかったりして、ぼてごけ。 ずっと水が流れているから、転けまくっているうちにびしょびしょになってくる。 力ずくでバイクを起こし、バイクが岩から抜くにおしたり、ひいたり。そんなことをしているうちにまたバイクを倒したりして、川の水だけでなく全身から汗がふきだしてくる。ジャケットなんかいらない、Tシャツでも充分だ。 毎度のコトながら、回りのみんなに多数、起こしてもらう。もっと力が、ほしい。というか沢登りやガレ場なんてへのかっぱ、くらいの走破力が。

しかし、みんなこんな状態だった。 ひとつのセクション通過するのに、はまっている人を助けたあいながら進む、と言う感じ。 これがロシアンラリーらしいところで、これがエンデューロだったら、変な体勢でころがしたバイクを起こせないで、もがきっぱなし、ってことになるんだろうなあ・・・と思う。

いちばん大変なところを通過したあとも、結構ガレっぽい路面だったが、時間が結構かかってやばめ、と思い自分にしては結構なペースで下っていく。でも、やっぱり、オーバーペースはいけない。下りの右カーブで、フツーだったら何事もなく曲がれるところをどういう訳かそのまま正面の壁につっこんでいってしまった。ぐしゃーっとなんだかいやな感触。

とりあえず、真っ先に目に飛び込んできたのが破損したマップケース。マジー?まだ初日だぞ。まさかもうコマ図なし生活?他にも、ステーとヘッドライトをとも締めしていたボルトが吹っ飛んでいる。まだありそうだな・・・・。しかしとりあえずチェックポイントまで行かなくては。 やっとのことでCP1にたどり着くと、もうすでにたくさんのライダーが到着していて、いやーよくたどり着いたね、と迎えてくれる。うん、しんどかったが実に楽しかった。たくさんバイク起こしてもらって言うのも、不謹慎だけど・・・。

もうすでに夕方になっていたが、ガレ場で手間取っていたため、先は長い。おまけに集団迷子、発生である。 コマ図変更、と朝のブリーフィングで伝えられてあった場所なのだが、変更通りにすすんでいくとなぜかロシアンライダーが正面からやってくる。どうも、引き返してきたらしい。あっちだ、あっちだ、と反対をさすのだが。どっちが正しいんだろう?しかし逆戻りしようにも、この場所かなりぬたぬたで、すでにはまっている4輪がおおくウインチで引っ張ったりして相当手間取りそうな模様。とりあえずロシアンライダーが下見にいってくれることになり、そこで待機する。と、#20坪倉さんが工具を出して、がちゃがちゃなにか始めている。待機中、何かの拍子にたちゴケしてクラッチをホルダーごと折ってしまったらしい。ちょうど、セローのホルダー&レバーをスペアで持ってきている。DR-Zだが、ホルダーごと変えれば何だって同じだろう。ボルトが一本なくて、つけるのに苦労したみたいだが、何とかついたようだ。お古パーツも持ってくると役に立つものだ。

結局、ロシア人が行ったルートが正しかったらしく皆で引き返すことになった。CP2で、早く出発しないと、もう次のCP締め切られちゃうよ、と#7もんどさんがせき立てるので休みもそこそこにあわてて出発。(しかしもんどさんは俺らはエスケープするけどね、とこと割ったうえでせきたててるんだけど・・・)

そしてCP2あとのマディ。 森の中で日がくれてしまい、 バイクのヘッドライト以外は、本当に漆黒の闇。 泥にうまってバイクをおしたりひいたりしながら、すこしづつ進んでいく中、 エンジンがかからないで、キックの鬼になっているロシア人の子 をぬかしていこうとしたとき、(#17さんと一緒だったのだが) あのDTWRヘッドライトがつかないんじゃ、と気がついた。 何度か後押しをしてあげてわずかずつ進みはしたが、やっぱりすぐエンジンがとまってしまう。 その子はもうエンジンかけるのを半ばあきらめた状態で、座り込んでいた。 こりゃほっておく訳にはいかないな、とふたりで途方にくれてしまった。 私は、エスケープしないで山に入ることにした二輪のなかで最後尾のほうだと思っていたし、 すぐ前をはしっていた日本人集団は、このあたりの一番深そうなマディをぬけたあとは するする行けたのかどうか、あっという間に消えてしまったし、 スイープがくるとしても相当あとだろうから、さていつまで待てばよいのやら・・・ おまけに獣らしい吠え声も聞こえてくるし・・・ブキミ。

真っ暗な中、ものすごく長い時間をそこで過ごしたような気がするが、 がるるの磯部さんをはじめ、まっちゃんたちけつ持ち部隊がおいついてきたときは 本当にほっとした。人間の気配がこんなに嬉しいものだとは・・・。

このあと、スイープにDTWRを引き上げてもらうことにして、二輪部隊はみんなで CP3まで一緒に行こう、ということになる。これはもう当然、と言う感じ。この真っ暗闇の中で取り残されたら・・とおもうとかなり恐ろしい。 マディなので先発部隊が歩いてラインを確かめたりしながら進んだ。 (歩いてラインを確認中、マディに足を取られてうわーっとかいいながら#14カメちゃんを泥の中に突き飛ばしてしまった。これはこういう場面に付き物のアクシデントです、決して故意にではありません。念のため) 2輪はラインを選べても、4輪の人たちはこのマディにつっこんでいくしかないのが気の毒。 かなりみんなはまっていたようだ。 そのあとみんなでCP3にたどりついたのはもうすでに、午前3時をすぎていたと思う。 もう眠さも、全然感じなかった。

でも、さらにしんどかったのはCP3からウスリスクに向かう舗装路80キロあまりだったかも・・・。 警察に先導してもらったのだが警察がとばすとばす。きっと今まででセロー最高速だろうってくらい、スピードを出した。 まあ、警察もはやいとこ厄介者たちを町まで連れて行きたいんだろう、と思う。 そうしてウスリスクにたどり着いたのが、ようやく午前4時。
当然、ホテルで晩飯なんて待っていてくれるわけがない。 スタッフが食堂で残り物をわけてもらってくれたので、ゴール地点につくととりあえず、ならべてあった袋からパンをとりだして、その場でがつがつとと腹に流し込む。なんか鳥の餌、って感じ。でも、これが妙においしかった。

これが一番しんどかっただけに一番印象にのこるルート。

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