DAY5 ナホトカ周辺

いよいよ最終日。月並みな言い方だけど、日がたつのは早い。始まったばかりだというのに、もう終わってしまうのか。 今日は、走るコースは近場で、メインはコマ図走行で砂浜まで各自行き、砂浜で遊ぼう!ということらしい。 多少の砂地を走ったことがある程度で、砂浜は日本では走ったことがない。 ちゃんと前にすすめるのか、ちと不安。

さて、砂浜につくと、先についたバイクはたくさんならんでいるけど、乗り手が見あたらない。 みんなどこへいったんだろう? 見あたらないので、その辺にいた人たちと一緒に川崎さんを先頭に裏山にトレッキングに出かけた。 とことこあたりをひととおり走って帰ってくると、松本の親父さんが 「これすてるのもったいないなあ」とビニール袋に入ったモノをみせる。 とげとげのある丸いモノ・・・・ウニです。 このあたりで大量にとれるのだとか。みんなここについたとたんウニとりに忙しくていなかったわけだ。 えー、ずるーい、私もたべたい!というと のこったウニをお裾分けしてくれた。しかしそんなにたくさん食べられるものではないので もったいないけど残りはそのまま砂浜へ捨てた。白いごはんが欲しかったなあ・・・。

なにもここには食べに来たわけではなく、走りに来たので はしらなきゃ、と思うと、向こうの方でヒルクライムごっこをやっている。 なんとか上れそうな勾配の坂に見えるが、手前は砂浜。助走の勢いがつけられない。 4輪の方はなかなかクリアできないようだ。 2輪の方はロシアンライダーが次々にクリアしていく。 砂の上を走り慣れているのだろうか、砂だろうが土だろうが全然変わらない走りをする。

私も挑戦したのが玉砕!やっぱり勢いがつけられなくてもうちょっと・・・とバイクにしがみつくモノのどんどん失速していって・・・
この角度でとまるのって・・・となんかいやーな予感がしたとおり、
バク転。
今のはかなりきれいなバク転だったろうなあと自分で感心しつつ、ごろごろと転がりおちてきたので、坂をよじ登ってバイクのところへたどりつくだけでも一苦労。自分じゃどうにもんらなかったのでロシアンライダーがバイクを引き起こすのを手伝ってくれて、もう一回!と坂を下ってから再度戦。しかしまたこけてしまったので、これ以上ロシアンの手を煩わすのも・・・と思って断念。
うーん、登りたかった・・・。 XR600組は当然のぼったが、TWの前田さんは成功していたので、これは腕の差。しかし、良く転けたので 見ていたロシア人には受けたようで、あとでナイスファイト、みたいな感じでよく声をかけてくれた。

これが終わるともう、帰り支度にはいる。ロシアの泥を持ち帰っては行けないので洗車場で念入りに泥を落とす。でも、タンクの裏、シートの下、フレームの間、いたるところに入り込んでいるのでなかなか全部落とすのは難しい。あとで、ああ、これはロシアの土だ・・・と日本へ帰ってタンクをはずして洗車しているときにたくさん泥のかたまりを発見することになるけれどとりあえず、見たところはきれいになった。(泥が付いてないと言う意味で。あんたのセローはホントにぼろいとつっこまないでください。)これで終了。あとは帰るのみ・・・。

いよいよ日本へ帰る前に、参加者みんなのほか、ナホトカ挙げての(?)さよならパーティーが行われた。ホントにお疲れさま!と声をかけあう人ごとに、ウォッカで乾杯する。知らなかったが、ウォッカは日本酒をのむおちょこのガラス版のような、ちいさなグラスでストレートで飲むのが普通らしい。割らずに飲むと無茶無茶のどが熱いので、味わうも何もなく、ほぼ流し込む、と言う感じ。

ロシアンライダーたちの席へ呼ばれていってここでも相当飲んだ気がする。そのうち、前のほうでダンスが始まった。見ているだけでなく、おまえも来い!と前へ引っ張り出されて、ぐるぐる回っている内に・・・・なんか訳が分からなくなってきた。あとで写真を見ると平面で回っていただけではなく(変な言い方ですが・・・ロシア人にとって私は子供のような体格なので持ち上げて回すのも簡単でしょう)縦にも回っていたようで、このせいで相当ウォッカの回りは早かったと思われまる・・・。次に意識が戻ったのは船の中。

「あ、動かんといて!」起きようとした私をみてともちゃんが止めた。なんで?と思う私の腕には何かが巻かれていて・・・「針、ささるからね、寝てて」腕に止めてある、針の先は・・・点滴です。えええーっと驚く私に昨日はほんとたいへんだったよーとアネゴ。ほんとひどかったらしい。ずっと看護婦さんがつきっきりで、出国検査も昏睡状態のまま、両側から支えてもらいつつ「はいこの顔です」とパスポートと照合してもらい・・・ソビエト時代だったら絶対日本に帰ってこれなっただろうと。酔っぱらって意識不明のまま出国検査だなんて前代未聞。しかし担架にのって出国検査の人もいたとか・・・・

とりあえず、すっかり酒は抜けていたのでラウンジに降りていくとみんなびっくりしたようで、「平気なの?」とみんなに言われる。散々みんなに迷惑をかけておきながら次の日はけろっとしているからさらに始末が悪い・・・私は。昨夜の話、聞けば聞くほど穴があったら入りたほどだ。

昨日のパーティーはホントにロシアンラリー始まって以来のひどい酔っぱらい続出で、本来、ラリー中の怪我のためにいるメディカルスタッフが、酔っぱらいの看護でてんてこ舞い。私も、胃の中のモノを全部吐かせてもらい、点滴を打ってもらったからよかったものの、彼らの助けがなかったら、いまごろ、ロシアンラリー参加者、ラリー終了後に急性アルコール中毒で死亡・・・・と新聞に載っていたかもしれない。親が見たら泣くな・・・というかこの時点で親は私がバイクに乗っていることを知らない。こんなんで娘がバイクに乗っていたと知ったら発作ものだな・・・。最後の船の中でのミーティングの竹平さんのコメント「(初日の夜も大変だったけど)とくにLEG5のナイトステージのスイープは困難を極めました」のコメントがちょっと冗談ではないくらい身にしみて、ちょっとしょぼん・・・。たいてい、その場の気分で行動している私だが、今回ばかりはもう少し後先考えて、行動しろよ、と自分を戒めた。

ロシア人たちにも連絡とらなきゃいけないな。あの子はしんじゃったかも・・・と思われていたりして。というか、生きてるよー、とまたラリーに参加しなくちゃいけないな。日本で会社生活にもどってからも、しばらく、ロシアンラリーのことを思い出して「あー、よかったなー」と思う。 「ロシアンラリーは最高の現実逃避」って誰だったかな、言っていたの。あわただしいいつもの生活にもどると本当にそんな気がする。でも、また行きたい。いろんな人にこの楽しさを伝えて、このラリーが続いていくように・・・、と思う。

ロシア土産のマトリョーショカ。あけてもあけても中から人形が・・・
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